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December 05, 2006

240という存在。

240に乗り出してから早4年目。
半年程度でコロコロとクルマを乗り換えてきた自分にとって、
最も長い付き合いの一台となった。

自分がなぜ240に乗り続けているのかを考えると、
240という存在が自分にとっての『リセットボタン』になっているからだと思う。

人間が感じる感動の大きさは、新しい体験をした時に、現状との『差』の大きさに比例して決まる。『差』が大きければ大きいほど強く感動し、『差』が無ければ何も感じることはない。

はじめてMBを運転した時、その重厚感に強い安堵感を感じ、BMWを運転したときは、その旋回性能の高さに心躍らされた。

この様な感動が味わえるのは、乗り始めてからせいぜい数十分程度。
残念だが運転を続けるほどにその感動は薄れていき、最後には『当たり前』になってしまう。よく言えば『適応する』とか『順応する』、悪く言えば『慣れる』とか『飽きる』という事だ。

一方、はじめて240のハンドルを握った時、そこに感動はなかった。むしろ『何の魅力も無い鈍重なクルマ』というのが第一印象である。

だが240を運転してからMBに乗ると、はじめてMBのハンドルを握ったときの感動を再び味わう事が出来るし、BMWに乗ればその旋回性能の高さを再び実感することが出来る。つまり240を運転することで、贅沢に麻痺してしまった自分の感覚が初期化されるのである。

このような意味で240は自分にとっての『リセットボタン』となっている。自分の感覚を『ニュートラル』の位置に戻してくれる貴重な存在ということだ。
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